元競走馬のマイネルヘルシャー(提供:酒本美夏さん)
障がい者乗馬との出会いで見つけた自分の居場所
現在、南相馬市に暮らす酒本美夏(旧姓・中野)さんは、川崎競馬場で育った。馬は身近な存在だった。父の故・中野五男さんは騎手としてデビューしたのち、厩務員、調教師補佐を経て調教師となり、1995年に開業した。美夏さんの母方の祖父や親戚も調教師をしている競馬家系だ。
「皆、川崎なのですが、祖父は高崎競馬から移ってきたと聞いています」
父・五男さんが福島県出身ということもあり、伝統の祭り・相馬野馬追には毎年家族で帰省して参加していた。
「私は8歳の頃から野馬追に出ていました。その頃は鎧ではなく陣羽織や袴を身に着けて、私が乗った馬を曳いてもらっての参加でした。夏休みになると野馬追があるから田舎に帰るというのが恒例になっていましたね。中学生になると野馬追では自分で馬に乗れなければならないですし、元々馬が好きでしたので、千葉にある乗馬クラブに通っていました」
やがて出会ったのが障がい者乗馬だった。
「馬が好きでしたし、高校生の頃は競馬や乗馬関係の仕事も良いなと思っていました」
ただ競馬界は優勝劣敗で、良い成績を収められない馬は生き残れない。人間の考え1つで馬の運命が決まる厳しい世界でもある。美夏さんはそのような身近に繰り広げられる現実を、ある種客観的に冷静な目で見つめてきたという。その分競馬とは違う、様々な世界を知りたくなった。パソコンでネットを検索していると、同じ神奈川県内にある障がい者乗馬を行っている団体がヒットした。
「興味本位で活動を見学に行ったのが最初でした」
障害のある子どもたちが笑顔で馬上にいた。リハビリを兼ねて馬に乗っている人もいた。皆楽しそうで、全体の雰囲気がとても和やかだった。
「馬たちもストレスを受けているというよりは、楽しんでいるように見えました」
障がい者乗馬と出会ったことで、競馬とは違う新しい世界が目の前に広がった。
「残念ながら引退した競走馬が障がい者乗馬の乗用馬になるのは少ないですが、競馬とはまた違った馬の可能性や生きる道を知ることができて、私の中で考え方が変わりました。私が目指しているのは競馬ではなかったと…。もちろん競馬も好きですけど、障がい者乗馬を知ってからは、(競馬の世界で)感じた矛盾や葛藤してきたものが払拭されました。自分の居場所を見つけたように思いました」
幼き頃の美夏さんと父・五男さん(提供:酒本美夏さん)
美夏さんに転機が訪れたのは、2007年5月。父・五男さんが脳内出血のため51歳で急逝したのだ。美夏さん一家は、長年暮らしてきた競馬場から転居しなければならなくなった。川崎市に残る選択肢もあった。だが五男さんは、自分の田舎である福島に墓を作ってほしいと、お酒を口にするたびに話していた。
「父は5人兄弟で1番下だったのですが、騎手になるために若くして家を離れたので、とても祖母(美夏さんから見て)を気にかけていました。農家だったので家は大きいのですけど、隙間風が入ってきたり、水回りも古くなっていたので、家を建てて新しいお風呂に入れてあげたいと父はいつも話をしていました」
それもあって美夏さん一家は、父の故郷である福島へと引っ越しをし、祖母が元々住んでいた敷地内に家を建てて暮らし始めた。五男さんが望んだ通り、祖母は真新しい家で温かいお風呂にゆっくり浸かることができた。
美夏さんは、介護の仕事についた。
「障がい者乗馬に関わっていたので、福祉関係の仕事には全く抵抗を感じず、すぐに馴染めました」
介護職として勤務した数年間で、とあるNPO法人との出会いがあった。保育園や支援学校にポニーを連れていって子供たちとのふれあいを行ったり、相馬野馬追と近い関係のある団体だった。
「その団体でお手伝いをするようになって、また馬との関わりを再開する形になりました」
その一方で、忘れられない1頭の馬との出会いがあった。祖母の家には、伯父が野馬追用に馬を飼養しており、美夏さんが福島へと移動してわりとすぐにやって来たのが、元競走馬のマイネルヘルシャーだった。
美夏さんにとって忘れられない大切な1頭、マイネルヘルシャー(提供:酒本美夏さん)
マイネルヘルシャーは、2003年4月9日に北海道静内町(現・新ひだか町)のマークリ牧場で生まれた。父はボストンハーバー、母ワッキープリンセス、その父Miswakiという血統で、半兄にオープンで走っていたナリタダイドウ(父タマモクロス)がいる。JRAでは畠山重則厩舎の管理馬として3歳時に2戦して未勝利に終わり、地方の岩手競馬へと転籍。岩手では23戦11勝の成績を残した。その中には、移籍後2戦目からの5連勝(2006年)と、6連勝(2006年〜2007年)も含まれている。2008年4月12日の水沢競馬場でのA級二組のレースの8着を最後に、競走生活を引退し、縁あって美夏さんの伯父が引き取ったのだった。
馬事文化豊かな相双地域で馬と接し、自宅では伯父の飼養する馬がいつもそばにいた。美夏さんと馬の縁は、途切れることがなかった。
(つづく)