後の人たちが受け継いでいかなければならない熱い思い
NAR地方競馬全国協会の塚田修理事長が、15日、亡くなられました。
数年前に体調を崩されていたものの、去年10月のJBC競走20周年記念イベントでは快復後のお元気そうな姿を拝見していました。
ふだんならNARグランプリ表彰式&パーティでもお目にかかっていたはずですが、今年2月のそれは新型コロナのために中止。結局、JBCイベントの時にお話ししたのが最後になってしまいました。
塚田理事長とのご縁は、12年ほど前に始まっています。当時、塚田さんは大井競馬のトップでした。
大晦日の大井競馬最終レースと言えば「おおとりオープン(賞)」ですよね。そのタイトルは「鳳」から名付けられたものですが、もともとは大晦日のレースではありませんでした。
一方、JRA中京競馬の年末最終レースに「尾張ステークス(特別)」というのがあって、これはシャレが効いていていいな、と思っていた私。その頃、東京スポーツに連載していたコラムの中で「大井も大晦日の最終レースを『おおとりオープン』にしたら?」と書いたのです。
すると翌年のJRA賞祝賀パーティで塚田さんが私を見つけて、「矢野サン、『おおとりオープン』にします!」とおっしゃってくださいました。塚田さんと私の“気”が合ったということでしょう。
それを契機に、いろいろなお話をさせていただきました。中でも、2018年にnetkeiba.comで公開されたロングインタビューは、これもその年のJRA賞パーティの席で塚田さんから私にご提案があって実現したものです。
「なかなかわれわれの思いをファンのみなさんにお伝えする機会がない。それに、本当の意図が正しくお伝えできていないこともある。ネット競馬サンで何かできないかなぁ」というご提案でした。
それを私が当サイトの担当者に持ちかけたところ、「地方競馬ネット会議室」というシリーズ企画が立ち上げられました。塚田理事長のインタビュー記事は
“こちら”で今もお読みいただけます。
改めて読み返してみると、塚田さんがさまざまな地方競馬活性化策を打ち出していたことと、何よりもそれを推し進めようという熱い思いがちりばめられています。
今年、カジノフォンテンが川崎記念とかしわ記念の2つのJpnI競走を制し、ミューチャリーが地方所属馬として初めてJBCクラシック優勝を果たしました。
2018年当時はまだ2分咲き、3分咲きだった花々の中に、3年経って満開となるものが現れ始めたということ。それが“手向けの花”になってしまったようです。
塚田さんは、これから先、もっと多くの花を大きく開かせたいと思っていらっしゃったはず。その遺志は、後の人たちが受け継いでいかなければいけませんね。謹んで塚田理事長のご冥福をお祈りいたします。