今週末のフェブラリーステークスに、レース史上初めて出走する外国馬が注目されている。
カナダのシャールズスパイト(牡6歳、父スパイツタウン、ロジャー・アトフィールド厩舎)である。
芝のG1やオールウェザーのG3を勝っているが、ダートでは2戦して未勝利。にもかかわらず、招待レースではないフェブラリーステークスに自費で参戦してくるのは、種牡馬としての価値を日本の生産界にアピールするためだという。
馬主のチャールズ・フィプケ氏は鉱山開発事業で成功したオーナーブリーダーで、このシャールズスパイトも自家生産馬。フィプケ氏は日本産の牝馬サイレンスビューティーの仔であるテイルオブエカティでもG1を勝ち、2016年にはセレクトセールでディープインパクト産駒を1億2500万円で落札するなど、日本と縁のあるオーナーだ。日本でも馬主資格を持っており、昨年カナダ競馬で殿堂入りした。
アトフィールド調教師もアメリカとカナダで殿堂入りしている大物で、これまで1986年のジャパンカップにキャロティーン(9着)、2010年のエリザベス女王杯にアーヴェイ(16着)といった管理馬を出走させている。このシャールズスパイトの鞍上として木村和士騎手を起用したこともあり、ほかの管理馬のレースに福元大輔騎手を起用するなど、日本の競馬界とつながりのあるトレーナーだ。
騎乗する「マジックマン」ジョアン・モレイラ騎手も、周知のとおり、日本の騎手になろうとしたこともあるほど、日本と関わりの深い騎手だ。
シャールズスパイトに関する「日本つながり」はまだまだある。
父スパイツタウンは2020年に高松宮記念を制したモズスーパーフレア、2018年のプロキオンステークスなどの重賞を勝ったマテラスカイ、2016年の全日本2歳優駿などを勝ったリエノテソーロらの父として、日本でもお馴染みだ。
母パーフェクトシャールは2011年のブリーダーズカップフィリー&メアターフなどG1・1勝を含む4勝した名牝。
その母レディシャールは芝2000mのG1、フラワーボウルハンデキャップを制している。実は、この馬には武豊騎手も2度騎乗したことがあり、初騎乗となった1991年9月1日、イリノイ州のアーリントン国際競馬場(当時の名称)の芝1600mで行われたゴールドフラワーステークスを勝っている。
シャールズスパイトの2代母レディシャールで武豊騎手が勝ったときのプログラム
武騎手は、その前週の8月22日、ニューヨーク州のサラトガ競馬場で行われたG3のセネカハンデキャップをエルセニョールで制し、日本人騎手初の海外重賞制覇をなし遂げていた。その後、レキシントンに立ち寄って牧場を見学してからシカゴに移動。アーリントンで最初に乗ったレースをヘイセイハナコという馬で勝ち、6日後の遠征最終日に、このゴールドフラワーステークスを勝ったのだった。
プログラムの写真を見ておわかりのように、レディシャールは、武騎手の腕を高く評価し、アメリカでたびたび騎乗馬を用意したノエル・ヒッキー調教師(当時)の管理馬だった。所有と生産はアイリッシュエーカーズファーム。カッコでヒッキー氏の名もあるが、この牧場の所有者はヒッキー氏だ。つまり、ヒッキー氏は「オーナーブリーダートレーナー」として、レディシャールを管理していたのである。
私は何度か雑誌や新聞にこの馬について書いたのだが、そのときは、自分の耳に聞こえたとおり「レディシェル」という表記にしていた。武騎手もおそらく、その名で記憶しているはずだ。
筆者が武豊騎手の米国遠征に同行して執筆し、雑誌「GORO」1991年10月24日号に掲載された記事
レディシャールは、普段はとてもおとなしい馬で、ヒッキー厩舎の女性調教助手が馬房で寝そべるこの馬の首に抱きついていたのを見て、驚いたことを覚えている。
レディシャールの母は「Canonization」で、それより遡っても馬名に「シャール(Shirl)」のつく馬はいない。ということは、シャールズスパイトの「シャール」のルーツはレディシャールと見ていいようだ。
馬名のルーツになった2代母に、日本を代表する名手が乗っていたというだけでも特筆すべきことだ。私としては、とてもお世話になったヒッキー氏が管理した、あのレディシャールの孫と知ったとたん見方が変わり、当日競馬場に行くのが、より楽しみになった。
このフェブラリーステークスは、福永祐一騎手の、国内GIラストライドでもある。
見逃せない日曜日になりそうだ。