(提供:西野美穂さん)
私なりのトリビューンへの謝罪
獣医師の処置のミスで10歳という若さでこの世を去ったトリビューン。その死を無駄にしたくないと法的手段に訴え、決着するまで1年半ほどの月日を要した。納得する結果ではなかったが一応の区切りはついた。西野さんはトリビューンの身に起こったことは日本全国どこでも起こり得ることだと話す。
「馬専門の獣医が少ない地域では、やむを得ず補液や注射などを無資格者がする場合があります。馬の皮膚の下にはどのような血管が通り、万が一傷つけてしまった場合にはどのような処置をすべきか、これを機に再確認していただければと思います」
西野さんが経営する会社は外食産業専門の食品メーカーだったので、コロナ禍では不安とストレスの中で仕事をしていた。そんな中で、馬と触れ合っていると気が晴れて、前向きになれた。トリビューンがいなくなったことで、その大切な時間も断たれてしまった。精神的にもきつい時期だった。
「馬が好きですし、乗り続けていないと二度と馬と関われなくなると思ったので、決着がつく前から引退競走馬を引き取って、その馬で競技にも出始めました。やはり馬と関わり続けることが、私なりのトリビューンへの謝罪かなと思っています」
西野さんのもとにやって来たのは「ケイアイリア」という馬だった。ケイアイリアは2017年4月29日生まれ。父へニーヒューズ、母はプロキオンS(GIII)とカペラS(GIII)の重賞2勝と活躍したケイアイガーベラ、半兄にはNHKマイルC優勝のケイアイノーテックがいる血統だ。名牝の子で兄もGI馬とくれば期待も大きかったのだろうが、障害を含めて7戦したもののいずれも2桁着順と競走馬として芽が出ることはなかった。
現役時代のケイアイリア(ユーザー提供:ワラビさん)
「性格的に争いごとが嫌いな馬なんですよ。跨ってみても、マイペースで前進気勢のない馬でした」と西野さん。
確かにそのような気性は競走馬向きではないかもしれない、だが乗馬の素質はあったようだ。西野さんはそんなケイアイリアに大好きな映画「グリーンブック」の主人公の名前をもらい、ドン・シャーリーと名付けた。それには理由があった。
「映画のドン・シャーリーは天才ピアニストなのですが、生まれてきた時代が悪くなかなか報われなかったんですね。この馬もとても良いヤツなんですけど、競走馬には適さず、競馬では報われませんでした。しかし、映画のように人種を超えたパートナーと出会ってセカンドキャリアが明るくなればいいなと思い、名付けました」
こうしてケイアイリアからドン・シャーリーに馬名を替え、競技馬への道を歩み出した。
「この馬には1年と少し乗っています。トリビューンのように日本馬術連盟の公認競技にも出られるようになってきました」
西野さんとドン・シャーリー(提供:西野美穂さん)
かつて西野さんは、オーストラリアに馬術留学するほど乗馬にのめり込んでいた。だが最近はほとんど競技会に出場することはなくなっていた。トリビューンの時も、預託している乗馬クラブ新庄乗馬クラブの岡村実さんが騎乗して競技会に出場していたが、ドン・シャーリーは西野さん自らが手綱を取って競技会に出るようになった。
「障害を飛ぶことは好きみたいです。競技会でのフィーリングがとても良いので、今度は彼と私で全日本を目指したいと思い、約18年振りに公認競技に復帰しました」
のんびりマイペースで争いごとが嫌いなドン・シャーリー。競走馬ではないステージで輝こうとしている。
普段はよく桶などで遊んでいるという(提供:西野美穂さん)
愛馬トリビューンは、医療ミスによって命を奪われた。
「医療的なミスほど、亡くなった馬に関わった人々を後悔させることはないと思うんです」
だが“起こったことはすべて必然”とも、西野さんはとらえているという。医療ミスをした獣医師も含めて、それぞれがトリビューンの死を糧にして次に向かって進んでいるはずだ。西野さんはそう前向きにとらえるようにしている。
「この私の健康と環境が許す限り、競走馬のセカンドキャリアを含め馬術界の発展に微力ながら貢献し続けたいと考えています。そして小さい存在ながら私が馬術界に関わり続けることが事故の再発防止にも繋がると考えています」
(了)