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キシュトーークU25『藤懸貴志×森一馬 同期対談』第2回

  • 2015年04月08日(水) 18時00分
今回は二人が仲が良くなるきっかけを教えてくれました!


以前は「犬猿の仲」だったという藤懸ジョッキーと森ジョッキー。そんな二人が仲が良くなるきっかけを教えてくれました!
(取材・文/大薮喬介)


性格が真逆で交わることがなかった

――仲が悪かった時期は長かったんですか?

藤懸 結構、最近まで仲は良くなかったですよ。

 うん、話すようになったのは2年前くらいだよね。

――本当に最近ですね(笑)。

藤懸 でも、競馬学校が一番ひどかったんですよ。僕はどちらかというと、みんなでワイワイしているタイプで、森は真面目で大人しいタイプ。当時は相部屋で寝ていたんですけど、僕たちが話していると、森が「静かにしろよ!」っていう感じで(笑)。性格は真逆だし、それまでの歩んできた道もまったく違うので、常に平行線。交わることがありませんでしたね。

 デビューしてからも、同期で集まることはほとんどなかったんですよ。関西はもうひとり花田がいるんですけど、僕と花ちゃんが遊ぶことはあっても、藤懸とはなかった(笑)。

藤懸 ないない(笑)。僕は先輩や厩務員の方と遊びに行ったり、ごはんに行くことが多かったんです。同期と会うにしても、花ちゃんとたまに遊ぶくらいで。今だから言えますけど、森とは、お互いすれ違っても挨拶もしない仲でした(笑)。

キシュトーーク

藤懸「森とは、お互いすれ違っても挨拶もしない仲でした(笑)」



 だったね(笑)。

――そんなふたりが話すようになったきっかけは何だったんですか?

藤懸 お互いが大ケガした時からですかね。森が入院している頃は、しょっちゅうお見舞いに行っていましたから。

 僕たちの期は、3年目に4人が休業状態になるほど、ケガ人が続出した時期があったんです。僕は2年目の11月くらいに調教中に落馬して、脳挫傷と頸動脈を損傷して。

藤懸 ちょうど、僕も攻め馬をしようとしているところだったんです。そうしたら「森がヤバいことになってる!」って騒ぎになって。

 病院に運ばれて、一週間くらい集中治療室にいたんです。その後、一般病棟に移ったんですけど、今でも落馬してから集中治療室を出るまでの記憶がないんですよね。

藤懸 (森と)一緒に乗っていた先輩ジョッキーも「嫌なものを見た。あれは本当にヤバいかも…」と言っていたので、僕も心配になって、毎日騎手クラブに様子を聞きに行ったんですよ。

 集中治療室にいて、面会できなかったんだよね。

藤懸 そう。騎手クラブに行くしかなくて、「どうですか?」って聞いても、「まだ…」としか返事がこなくて。同期だからとか、仲がよくないとか、そういうことは関係なくて、本当に心配だったんです。でも、良かったよ、すぐに復帰できて。

――どのくらいで復帰できたんですか?

 2か月半くらいでお医者さんに「馬に乗ってもいいですよ」と言われたんです。だけど、今度はすぐに藤懸がレースで落馬して。

藤懸 3年目の2月頃だよね。落馬して右足のすねを骨折…。手術の2時間後くらいにお見舞いに来てくれたのを覚えてるよ。麻酔が効いているから、うつろな感じで、「(来てくれて)ありがとう…」って言って、また意識をなくしたんだよね。

――わざわざ手術の日にお見舞いに行ったんですね。

 はい…、と言いたいところなんですけど、実は手術日だったことは知らなかったんです。正直、こんな日に来てしまって、申し訳ない気持ちでいっぱいでした(笑)。

藤懸 でも、その頃から、徐々に話すようになったよね。

 うん、お互いようやく歩み寄るようになって(笑)。

藤懸 それからは、森の車で小倉に行く機会もあったりして話す時間もできましたし、去年は同期の花ちゃんの結婚式の二次会をどうするかで、2人でしょっちゅうご飯を食べに行っていましたから。

 僕たち、ようやく通常の同期になったんです(笑)。

キシュトーーク

森「僕たち、ようやく通常の同期になったんです(笑)」



【次回のキシュトーークU25は!?】
次回は、森ジョッキーの中学校時代の部活エピソードを紹介。ジョッキーだけに体育会系かと思いきや、意外や意外そうではなかったようです。いったい何部だったのか!?

元祖「キシュトーーク」のレギュラー陣、国分恭介、国分優作、松山弘平、川須栄彦、高倉稜を中心に、栗東・美浦・地方からも幅広く、これからの競馬界を担うU25の若手ジョッキーたちが登場します!

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