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橋口厩舎とハナに行かない先行タイプに注目

  • 2005年07月11日(月) 10時31分
 北九州記念は94年までが別定戦、95年から99年までがハンデ戦、そして00年から再び別定戦という順序で行われてきた。

 ハンデ戦時代も牡馬で強かったのは53〜55キロあたりで、「いかにもハンデ戦らしい波乱」というものが起き続けていたわけではないのだが、それでもハンデ戦時代と別定時代(以前のものを含む)できっぱり傾向が違う部分がある。

 例えば、分かりやすいところで橋口厩舎の成績。小倉には欠かせない厩舎だが、ハンデ戦時代には全く奮わなかった。阪神で行われた98年を含めてのべ5頭出走し、一頭も馬券に絡んでいない。その一方で、平成以降の別定戦時代(以下、別定を前提にする場合は全て平成以降の別定時代)にはのべ12頭が出走し、半数の6頭が連対している。もちろん回収率は単複ともプラスだ。

 脚質と成績の関係性もハンデか別定かで全然違う。ハンデ戦として行われた5年間、逃げ馬の成績は[3-1-0-1]。後ろにいる馬はノーチャンス、逃げれば極楽というレースだった。

 一方、別定では[1-0-3-8]。93年にシルクムーンライトが逃げ切っただけで、あとは良くても3着止まりとなっている。今年の登録馬を見ると先行タイプが不足しているようだが、それでも逃げ候補の馬を軸にはしづらい。

 重賞は「過去10年」という形で振り返られることが多く、北九州記念についてもハンデ戦時代の記憶が混在しているかもしれないが、以上のような理由から、別定時代の記憶だけを取り出しておく必要がある。

 ハンデ→別定といえば、常識の逆になっている傾向がひとつある。別定で行われた年に、牡馬で440キロ未満という小型馬がよく複穴をあけているのだ。ロサード、マルブツパワフル、サンアカネといった馬たちである。フォーメーションの2、3着欄に足す馬を迷ったら、小さい順に選抜するのも面白いかもしれない。

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1970年東京生まれ。競馬評論家、ギャンブル評論家。中学生時代にミスターシービーをきっかけとして競馬に興味を持ち、1990年・大学在学中に「競馬ダントツ読本」(宝島社)でライターとしてデビュー。以来、競馬やギャンブルに関する著述を各種媒体で行うほか、テレビ・ラジオ・イベントの構成・出演も手掛ける。競馬予想に期待値という概念を持ち込み回収率こそが大切という考え方を早くより提唱したほか、ペーバーオーナーゲーム(POG)の専門書をはじめて執筆・プロデュースし、ブームの先駆けとなった。

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