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【菊花賞TR回顧】サトノグランツで本番へ! 前が壁でも「まったく慌てなかった」心理と内目に見出した勝算【月刊 川田将雅】

  • 2023年10月12日(木) 18時01分
“VOICE”

▲サトノグランツで制した神戸新聞杯を振り返る(c)netkeiba.com


菊花賞トライアルレースの神戸新聞杯。アマタ差の決着を制したのは川田騎手が騎乗したサトノグランツでした。

最後の直線で前が壁となっている状況ながら、外目に持ち出さずに2着となったサヴォーナの後ろをキープした理由とは――。トップスピードの攻防のなかでの心理状態を余すところなく語っていただきました。本番に向けての意気込みと合わせてお楽しみください。

(取材・構成=不破由妃子)

菊花賞に向けても感じる春からの成長


──サトノグランツで勝利した神戸新聞杯は、非常に興味深い一戦でした。通常の横からのレース映像を見ている際は、さすがに「あ〜、これは開かない。ダメだ…」と思ってしまったんです。でも、あとでパトロールを見たら、川田さん、全然慌ててなくて…。前が壁になってから最後の最後に抜け出すまで、一体どんな心理状態だったんだろうと思って。

川田 もちろん慌てることはないですね(笑)。レースってそういうものですから。

──ああいう並びになるであろうことはわかっていた?

川田 もちろんです。レースのなかで全部見えていました。それに、確かに前が壁になっていましたが、たとえ壁がなかったとしても、何も変わらなかったんですよ。

──というと?

川田 見た目の印象からすると、ゴール前で急にすごく伸びたって思うじゃないですか。でも実際はそうではなくて、周りの馬たちが苦しくなって減速したんです。そんななか、彼が一番辛抱して、頑張り続けてくれた。だから、最後に前に出られた。

──レース全体の上がりを見ると、10秒7-10秒9-12秒0。なるほど、周囲のラップが12秒0に落ちるなか、サトノグランツだけは変わらなかった。

川田 彼も落ちてはいますが、ほかの馬に比べると辛抱した。彼は瞬発力より持久力に長けたタイプです。逆に言えば、勝負どころではほかの馬と比べていつも早めに手が動き出すでしょ? ガッとトップスピードに入るタイプではないから、周りが速くなるとついていくのに時間が掛かってしまうんですけど、そのまま自分のスピードを持続できるので、みんなが苦しくなって減速してくると彼が伸びているように見える。
“VOICE”

▲サトノグランツだけはゴール前でも脚が鈍らなかった(c)netkeiba.com


──なるほど。たとえ壁がなかったとしても、抜け出してくるタイミングは変わらなかったということですね。

川田 そうです。道がないから伸びなかったわけではない。彼は一生懸命走っているんですけど、周りの馬たちのスピードも速いし、そこにあまり差がないから前との距離が詰まらない。なので、あの瞬間でいうと、前に開けた道があることが重要なわけではないんです、彼にとって。

──でも、最後まで道ができないままゴールを迎えてしまったら、当然、抜け出すことはできなかったわけですよね。

川田 もちろんそうです。だからこそ、ほかの馬たちの並びを見ながら、最終的にどこに進路を作れるかを見ていたんです。

──直線で外目に持ち出すという選択肢はなかった?

川田 ほかの馬たちの能力的なことや、全体の雰囲気を加味して判断した結果、外には出さず、あのラインを選択しました。人気だけを見れば、サヴォーナ(10番人気2着)の後ろを取るべきではないですよね。でも、そこまでにやってきた競馬と4コーナーの雰囲気からして、サヴォーナは止まらないなと判断したんです。

──なるほど。パトロールを見て気づきましたが、確かに直線はずっとサヴォーナを追いかけていましたね。

川田 外に出すことよりも、そのまま真っ直ぐ内目を通りながら、サヴォーナの後ろをキープし続けることで、

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1985年10月15日、佐賀県生まれ。曾祖父、祖父、父、伯父が調教師という競馬一家。2004年にデビュー。同期は藤岡佑介、津村明秀、吉田隼人ら。2008年にキャプテントゥーレで皐月賞を勝利し、GI及びクラシック競走初制覇を飾る。2016年にマカヒキで日本ダービーを勝利し、ダービージョッキーとなると共に史上8人目のクラシック競走完全制覇を達成。

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