スマートフォン版へ

高松宮記念と相性の良いSS

  • 2007年03月19日(月) 23時50分
 高松宮記念(以前は高松宮杯)がG1になったのは1996年のこと。既に11回がG1として行われたが、それを前後半に分けると、決定的な違いがあることに気付く。

 それは、外国産馬が強かったか、そうでないか、という違いだ。

 01年までの6回における連対馬のべ12頭のうち、外国産馬は7頭。97年と98年はマル外のワンツーフィニッシュになっている。

 98〜99年あたりはそもそも出走馬に占める外国産馬の割合が高く、98年は出走16頭中10頭(他に取り消し1頭)、99年は16頭中12頭がマル外だった。

 一方、06年におけるマル外は、18頭中2頭のみ。05年は3頭だった。マル外というものが質量ともに低下しており、それが「なんとなくスプリント界のレベルが下がっているような気がする」という感覚に繋がっているようにも思える。

 ちなみに、01年以降の連対馬は1頭を除きすべて4番人気以内なのだが、その唯一の例外もまた、マル外のキーンランドスワンだった。こうして見ると、「機能するマル外」がいるかどうかはこのレースにおいて重要な意味を持つことが分かる。

 さて、ではマル外の退潮と入れ替わりに勢力を増したのは何だったか?普通なら内国産スプリンターの代表血統であるサクラバクシンオーあたりになるはずだが、バクシンオーはなぜか3月の中京最終週芝1200m(高松宮記念だけでなく、全レースが対象)と相性が悪い。実はショウナンカンプ(02年高松宮記念)が唯一の勝ち馬で、総合では(1.3.2.21)となっている。

 マル外の勢いがなくなって得をしたのはサンデーサイレンスだった。父として3勝2着2回、母の父として2着1回の計6連対を高松宮記念で果たしている。

 今回も父、母の父両方の立場から有力馬を送り出しており、SSの血を無視した予想は立てづらいところだ。

このコラムをお気に入り登録する

このコラムをお気に入り登録する

お気に入り登録済み

1970年東京生まれ。競馬評論家、ギャンブル評論家。中学生時代にミスターシービーをきっかけとして競馬に興味を持ち、1990年・大学在学中に「競馬ダントツ読本」(宝島社)でライターとしてデビュー。以来、競馬やギャンブルに関する著述を各種媒体で行うほか、テレビ・ラジオ・イベントの構成・出演も手掛ける。競馬予想に期待値という概念を持ち込み回収率こそが大切という考え方を早くより提唱したほか、ペーバーオーナーゲーム(POG)の専門書をはじめて執筆・プロデュースし、ブームの先駆けとなった。

バックナンバー

新着コラム

アクセスランキング

注目数ランキング