高松宮記念(以前は高松宮杯)がG1になったのは1996年のこと。既に11回がG1として行われたが、それを前後半に分けると、決定的な違いがあることに気付く。
それは、外国産馬が強かったか、そうでないか、という違いだ。
01年までの6回における連対馬のべ12頭のうち、外国産馬は7頭。97年と98年はマル外のワンツーフィニッシュになっている。
98〜99年あたりはそもそも出走馬に占める外国産馬の割合が高く、98年は出走16頭中10頭(他に取り消し1頭)、99年は16頭中12頭がマル外だった。
一方、06年におけるマル外は、18頭中2頭のみ。05年は3頭だった。マル外というものが質量ともに低下しており、それが「なんとなくスプリント界のレベルが下がっているような気がする」という感覚に繋がっているようにも思える。
ちなみに、01年以降の連対馬は1頭を除きすべて4番人気以内なのだが、その唯一の例外もまた、マル外のキーンランドスワンだった。こうして見ると、「機能するマル外」がいるかどうかはこのレースにおいて重要な意味を持つことが分かる。
さて、ではマル外の退潮と入れ替わりに勢力を増したのは何だったか?普通なら内国産スプリンターの代表血統であるサクラバクシンオーあたりになるはずだが、バクシンオーはなぜか3月の中京最終週芝1200m(高松宮記念だけでなく、全レースが対象)と相性が悪い。実はショウナンカンプ(02年高松宮記念)が唯一の勝ち馬で、総合では(1.3.2.21)となっている。
マル外の勢いがなくなって得をしたのはサンデーサイレンスだった。父として3勝2着2回、母の父として2着1回の計6連対を高松宮記念で果たしている。
今回も父、母の父両方の立場から有力馬を送り出しており、SSの血を無視した予想は立てづらいところだ。