11月14日は盛岡競馬場での「レディースジョッキーズシリーズ」第1ラウンド。「左回りは浦和での2回と、釜山での2回だけ」という岩永千明騎手が1位になって、左回り経験が豊富な増澤由貴子騎手と山本茜騎手が2位と3位。6頭立てながら2つのレースはともに配当もソコソコついて、観る側としてもけっこう面白い内容となった。
という月曜日を終えて向かった先は、岩手県の沿岸部。6月に震災復興のボランティアとして津波の被害があった場所を少しだけ訪問したが、それがそのあとどうなっているのか。沿岸部の宮古、釜石の場外発売所「テレトラック」の視察も含めて行ってみようと思ったのだ。
まずは盛岡から90kmほど東にある宮古市に出発。国道106号線から山々のすばらしい紅葉を見ながら宮古市に到着し、まずは「テレトラック宮古」を視察する。JR宮古駅から徒歩2分ほどのその建物内にいたのは、地元の常連さんとおぼしき人々。火曜日の正午前ということもあってか、場外発売の金沢競馬に参加していたのは1階が6人、2階が25人くらいと、すこしさみしい場外だった。ちなみに2階には馬券発売窓口が3つあったが、金沢競馬第3レースの締切2分前以降に馬券を買ったのは私だけ……。
警備員さんに「今日はすいているほうですか?」と聞いてみると、「いつもこんなもん」との回答。それでも岩手競馬の開催日である土日月は違うはず。ということで、次は岩手の開催日に視察してみようかな。
と思いながらメインレースの馬券を買い込み(当たったら東京競馬場で払い戻せるので安心)、釜石を目指して国道45号線を南下する。その途中にある山田町に立ち寄ってみよう。ボランティアで行った6月に比べて、変わったところはあるかなあ?
……あまり変わっていませんでした。それでも当時残っていた家やビルはほとんどが解体されたので、街の風景という点では変化がある。だからJRの陸中山田駅に行きたいと思っても、目印になるものがないのだ。
それでも勘を頼りに到着した陸中山田駅。全焼した駅の建物は跡形もなく、線路も撤去されている。漂着したガレキもまだ残っており、海から吹き抜けてくる風がとても冷たい。
そんな光景を眺めていると、復興が全然進んでいないように思えてしまう。しかし建物を造るためには、地面の下にある上下水道を先に整備しなければならない。さらに地震で地盤がずれたために、地下水脈が落ち着いていないところも多いらしい。だから「早く重機でガーッとやって、とっとと建てればいい」というわけにはいかないとのこと。実際、応急処置で復旧させたら予期せぬ湧き水が出て最初からやりなおし、となった施設もあるそうだ。
そんな街の様子は写真で紹介できるが、個人的には多くの人に現地をじかに見てもらいたいと思う。実際に見れば「がんばろう岩手」が、より重い響きで伝わってくるはずだ。
続いて、山田町以上に街のほとんどが押し流された大槌町にも立ち寄って、「復興食堂」で昼食。そしていよいよ「テレトラック釜石」に向かう。岩手競馬で唯一、震災後に営業を再開していない場外発売所だ。国道45号線で両石駅前を過ぎればすぐに見えてくるはず……。あっ、看板があった。この信号を右に曲がればいいんだな。
……何もないぞ!?
目印がサッパリないなか、たぶんここがテレトラックだったんだろうと推理できた手がかりは、駐車場と思われる白線。そこに車を停めて「テレトラック釜石」に近づけば、基礎部分だけを残してすべて撤去されていた。傍らには鉄くずなどの山。そして駐車場の大半は、市内から出たガレキ置き場になっていた。
衝撃の光景に心を失くしながら鉄くずの山を眺めると、岩手競馬のマスコットが顔を出していた。なんという光景。同じ岩手県でも内陸部は以前と変わらぬように感じるが、沿岸部は3月11日の面影を消せないところがまだたくさん残っているのである。
「がんばろう岩手。心をひとつに、岩手競馬」
繰り返しになるが、被災地の景色は多くの人に直接見てもらいたい。そう思わせるだけのすごい説得力があるのだ。