今年、減量復活で例年以上に活躍している原田ジョッキー。幼少の頃は嫌々ながら空手をしていたそうですが、大会で優勝したこともあったそうです。運動神経もよく、今でも50mを6秒前半で走れるとか。そんな彼ですが、空手と同じく競馬も好きではなかったそうです。その理由とは!?
(取材・文/大薮喬介)
毎週のように競馬に行ってたものの…
――相当、足は速いですね。逆に、苦手なスポーツはありますか?
原田 水泳ですかね。いや、泳げるんですよ。でも、小さい頃に空手の合宿で海に行ったことがあるんです。で、調子に乗って沖のほうに行ったら、溺れてしまって(苦笑)。
――トラウマになったんですね。
原田 はい。それ以来、水温が変わるところまでいくと、思い出すんですよね。それにみんなで海に行くと、崖から飛び降りたりするじゃないですか。ジェットコースターもそうなんですけど、高いところから落ちる時のフワッとするのが苦手なんです。
――なるほど。でも、沖まで行ってみようと思うのは、冒険心はあるほうだったんですね。
原田 そうですね。高いところから落ちるのが苦手だと言いましたが、小さい頃は負けず嫌いで、度胸試しでトンネルの上から飛び降りることもしていました。空手も好きではなかったのに、大会で負けたら泣いていましたからね(笑)。
――競馬のジョッキーになろうと思ったのはいつ頃なんですか? 確かお父様が競馬好きだったんですよね?
原田 父は毎週のように京都競馬場に行っていて、僕は席を取るために連れていかれていたんです。せっかく学校が休みの日なのに8時に起こされて、9時に競馬場に着いたら、新聞紙を持ってササッと席を取って。ちょっと目を離した隙に他のお客さんが座っていたら、父に怒られていましたね。海老天そばをよく食べさせられていたのを覚えています(笑)。
――でも、レースは観ていたのでしょう? それでジョッキーになろうと。
原田 競馬場にいるのに、生観戦したことがなかったんですよ。席を取っていないといけなかったので、そこでジッとしていました。だから、競馬自体あまり好きではなかったんですよ。
――ジョッキーになった方で競馬が好きではなかったという人に初めて出会いました(笑)。
原田 あとジッとしている間に、父から競馬の血統とデータの本を渡されて、それに該当するところに印をつけておけとも言われて、それを黙々とやっていましたね。
――じゃあ、今でも血統やデータには強い?
原田 いやぁ、自分からではなく、やらされていたので、まったく頭には入ってこなかったです。もう、同じ作業を淡々とこなしている感じでしたから。
――生観戦はしてなくても、映像では観ていたんでしょう?
原田 ええ、(血統やデータは)当てにならないなぁと思いながら観ていました(笑)。
――そんな少年がどうしてジョッキーになろうと思ったんですか?
原田 先ほども言いましたけど、うちは電気やガスが止まったりと裕福ではなかったので、家を出て寮生活がしたいと思っていたのと、あとは身長が低かったのもありますね。
最大の理由は、奨学金を利用する予定だったので、あとで学費をすぐに返せると思ったからです。で、中学1年生の時に親に「騎手になりたい」とお願いして、京都競馬場の乗馬に通うになりました。それからです、土日が乗馬だったので競馬場の中に行くことがほとんどなくなりました。
(次回へつづく)
中学1年生の時に親に「騎手になりたい」とお願いして、京都競馬場の乗馬に通うになりました