▲曾和師の“懺悔”とは…(C)netkeiba.com
2022年の『太論』は、スペシャル対談からスタート! ゲストにお迎えしたのは、園田時代の師匠、曾和直榮元調教師です。今回は、満を持して実現した師弟対談とあって、おふたりの出会いから二人三脚での戦った日々、中央への挑戦と移籍、そして現在に至るまでの戦いをじっくりと語り合う時間となりました。
第三回のテーマは、「中央移籍」。中央での騎乗を叶える唯一の切符、認定レースでの勝利を目指し、他厩舎に頼み込んでまで馬を用意したという曾和師。しかし、逆の立場になったときには、複雑な思いも経験したそうで…。当時の思いを赤裸々に語ってくれました(取材・構成=不破由妃子)
弟子の中央GI初制覇に「どないしていいかわからんかった…」
──小牧さんの「外国で乗りたい」という野望にはストップをかけた曾和先生ですが、中央に乗りに行くことに対しては、どういうスタンスだったのでしょうか?
小牧 中央に乗りに行けるよう、全面的にバックアップしてくださいましたよね。
曾和 うん、馬をそろえて応援してた。最初はね、まさか安藤勝己くんのああいうルール(直近5年以内に2度20勝以上したら一次試験免除)ができるとは思わんかったけど、安藤くんが受かったあと、なんとしてもこの流れに便乗せなアカンと思って。当時、中央に乗りに行くためには、JRAの認定レースを勝つ必要があったでしょ? 中央に移籍したい地方ジョッキーがいっぱいおった時代やから、それを勝つのが難しくてなぁ。でも、よう勝ったよな。
小牧 はい。先生のおかげですよ、ホントに。
曾和 自分の厩舎の馬がおらへんかったら、よその厩舎に頼み込んで。それが唯一の中央に乗りに行く切符やったからね。行けるとなれば、今度は中央の調教師に「小牧が今度乗りに行くので、よろしくお願いします」言うて。みんな可愛がってくれてね、「小牧、いつ来るねん」ってよう言われたわ。
太が2年連続で20勝以上をクリアしたあとは、今度は(岩田)康誠や。僕の弟子ではなかったけど、力を貸してくれって言われたから、本来なら太が乗るはずだった馬を康誠に回して。そうすると、太は乗りに行けんわけや。そんなことをしているうちに、康誠が地方騎手として初めてGIを勝ちよった(2004年菊花賞・デルタブルース)。当然、康誠に注目が集まるようになってね。
あのときは複雑やったなぁ。自分の弟子がね、頑張っているというのに。たぶん棺桶に入るまで思ってるやろ、「すまんかったな」って。
小牧 僕もいろんな方に助けてもらいましたからね。
──15歳から面倒を見てきた弟子が中央へ。先生、寂しい気持ちはなかったですか?
曾和 寂しいなんていう気持ちはなかったですよ。出世したからこそ、そういう道が拓けたわけやから。心から応援していたし、太は中央に行ってよかったなと思うて。
──移籍5年目には桜花賞を制覇(2008年レジネッタ)。先生のなかにも込み上げるものがあったのでは?
▲2008年レジネッタで桜花賞を制覇(C)netkeiba.com
曾和 いや…、レースをね、たまたま観てなかったんや。
──なんと(笑)。
小牧 アハハハ!
曾和 電話がたくさん掛かってきたから、慌ててテレビを付けたら映像が流れていて。「よかったねぇ」っていっぱい電話をもらったんやけど、もうどないしていいかわからんかった。
──うれしさのあまり、頭が真っ白に?
曾和 そうやね。僕のほうが上がってしまって。やっぱり、あのときが一番うれしかったな。
▲「あのときが一番うれしかったな」(C)netkeiba.com
──土日は毎週、小牧さんの競馬を見ていますか?
曾和 毎週必ず見ているわけではないけど、新聞は欠かさずに見てますよ。新聞を見て、今日は3つ乗ってるわとか、あんまり人気しとらへんなとか思ってね。心のなかで「頑張れよ」っていつも思ってます。10番人気くらいの馬で3着とか4着でもね、「ああ、よかったなぁ」思うて。今、栗東で一番年上やろ?
小牧 僕が一番上です。関東も入れたら、ひとつ上の(柴田)善臣くんがいますけど。
曾和 ジョッキーはスポーツマンやからね。年をとれば状況は変わる。それはもう、しゃあないよな。依頼をもらってこその世界やから、乗せてくれる馬主さん、調教師さんへの感謝を忘れず、楽しく乗っていってくれたらと思ってるよ。
(文中敬称略、次回へつづく)