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“不屈の新人” 森裕太朗騎手(1)『騎手になるため宮城から栗東へ』

  • 2016年04月13日(水) 18時00分
今月は“不屈の新人” 森裕太朗騎手にインタビュー


競馬学校時代に度重なる怪我を負いながらも、あきらめずデビューした新人ジョッキー・森裕太朗。その不屈の精神はどこからきているのでしょうか? 彼のルーツに迫ります!
(取材・文/大薮喬介)


骨折しながらも野球の試合に出場

――宮城県出身とのことですが、同県に競馬場はないですよね。競馬を知るきっかけは何だったのですか?

 もともと父親が競馬好きで、福島競馬場に連れて行ってもらう機会が多かったんです。その時に馬の躍動感だったり、ジョッキーが乗っている姿がかっこよくて、競馬に魅せられたのがきっかけですね。実際に競馬場にいると、競走馬が走っている時の地鳴りがスゴいじゃないですか。その迫力を見て、僕もジョッキーになりたいと思いました。

――どのくらいから競馬を観ていたのですか?

 小学2年生の頃にはテレビで観ていましたね。ただ、その時はそれほど興味がなかったんです。父親が楽しそうに観ているなぁ、くらいにしか思っていませんでした(笑)。実際に競馬場に行くようになったのは、小学4年生の頃からです。

――当時の印象に残っているレースはありますか?

 ジェンティルドンナがオルフェーヴルを負かしたジャパンCが印象に残っていますね。もともと勝負事は好きだったので、両馬の叩き合いを観て、僕も大舞台でトップジョッキーと競り合ってみたいと思いました。

――勝負事が好きな小学生ですか。では結構、やんちゃだったんですか?

 いやぁ、勝負事は好きでしたが、ガツガツしているタイプというよりは、控えめで大人しい子供でしたね。ただ、運動神経には自信がありました。

――ということは、当然何かスポーツをしていたんですよね?

 両親がいろいろなスポーツを経験させてくれました。野球、水泳、体操、空手もやっていましたね。一応、空手は全国大会まで出場することができました。僕の同期は空手経験者が多いんです。荻野(極)もそうですし、藤田(菜七子)も少しやっていたそうです。

――大人しい少年だったのに、どうして空手を習おうと思ったんですか?

 父も母も学生の頃に空手をやっていて、どちらもインターハイで優勝しているんです。だから、空手一家といったら極端ですけど、自然と空手を習い始めていましたね。組手は1対1の真剣勝負ですから、そういった緊張感が好きでした。

――先ほど勝負事が好きだとおっしゃっていましたが、ご両親の血を受け継いだんですね。

 そうなりますね(笑)。いろんなことを経験させてくれた両親には本当に感謝しています。ただ、様々なスポーツはやったものの、身長がそれほど高くなかったので、上を目指すのは難しいなと思っていました。だから、身長が高くなくて、体重も軽いことが条件のジョッキーは自分にぴったりだなと。まぁ、父が競馬好きだったことが大きかったのかもしれませんが(苦笑)。

――森ジョッキーを応援している地元の方のブログを拝見したのですが、野球をしている時に、骨折しているのにもかかわらず、試合に出場したらしいですね。それは本当なんですか?

 あぁ、1度ありましたね。でも、骨折といってもくるぶしの骨が欠けただけでしたから。

――いやいや、その状態で試合に出ようと思う人はいないですよ。

 本心を言うと、痛かったです(笑)。僕がいたチームはメンバーが少なくて、あの時は自分が出ないといけないという気持ちが強かったんです。

――ど根性ですね(笑)。ジョッキーになりたいと決めた時のご両親の反応はいかがでしたか?

 父は当然のごとく大賛成でした。ただ、母は危険な仕事だと思っていたようで、あまりなってほしくなかったみたいです。でも、ウチは父が中心の家族なので、最終的には父の後押しがきいて、母も賛成してくれました。

――周りに競馬関係者がいない環境の中で、騎手になるための準備はどうされたんですか?

 父がいろいろと調べてくれて、美浦と栗東に乗馬のジュニアチームがあることを知ったんですね。ジュニアチームの「最終選考会」に合格すると、競馬学校の一次試験が免除になるので、「まずはジュニアチームに入ったほうがいいんじゃないか」と父が勧めてくれました。それで、母と一番下の妹と一緒に栗東に引っ越したんです。

――えっ!? ジュニアチームに入るために栗東に引っ越したんですか!? お父さまは?

 宮城に残りました。僕は4人兄弟なんですけど、父と、もう一人の妹、そして弟を残して、中学2年生の時に引っ越したんです。

――家族全員が、森ジョッキーのためにサポートしてくれたんですね。

 はい。だから、ジョッキーをあきらめることはなかったですし、絶対にならなければいけないと思っていましたね。

――ジュニアチームに入るまでに乗馬経験はあったんですか?

 経験がなかったので、最初は一番下手でした。それに言われたことをすぐにできるタイプではないので、毎日毎日、先生に指導されて正直辛かったですね。乗馬は感覚が大事というか、これまでやってきたスポーツとは違って、自分だけでなく、馬のことも考えないといけないので、それがすごく難しかったです。まぁ、最後は何とかハミ受けができるようになって、ギリギリで合格できました(笑)。

キシュトーーク

最後は何とかハミ受けができるようになって、ギリギリで合格できました(笑)



――相当、努力されたんですね。

 家族が協力してくれていたからこそ、ジュニアチームに入ることができたので、これくらいの努力はしないとダメだと思っていましたから。

【次回のキシュトーークU25は!?】
騎手になるために栗東に引っ越した森ジョッキー。念願の競馬学校に入学しますが、そこから、さらに苦難の連続でした。次回は競馬学校時代についてのお話です。

元祖「キシュトーーク」のレギュラー陣、国分恭介、国分優作、松山弘平、川須栄彦、高倉稜を中心に、栗東・美浦・地方からも幅広く、これからの競馬界を担うU25の若手ジョッキーたちが登場します!

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