競馬学校時代に度重なる怪我を負いながらも、あきらめずデビューした新人ジョッキー・森裕太朗。その不屈の精神はどこからきているのでしょうか? 彼のルーツに迫ります!
(取材・文/大薮喬介)
骨折しながらも野球の試合に出場
――宮城県出身とのことですが、同県に競馬場はないですよね。競馬を知るきっかけは何だったのですか?
森 もともと父親が競馬好きで、福島競馬場に連れて行ってもらう機会が多かったんです。その時に馬の躍動感だったり、ジョッキーが乗っている姿がかっこよくて、競馬に魅せられたのがきっかけですね。実際に競馬場にいると、競走馬が走っている時の地鳴りがスゴいじゃないですか。その迫力を見て、僕もジョッキーになりたいと思いました。
――どのくらいから競馬を観ていたのですか?
森 小学2年生の頃にはテレビで観ていましたね。ただ、その時はそれほど興味がなかったんです。父親が楽しそうに観ているなぁ、くらいにしか思っていませんでした(笑)。実際に競馬場に行くようになったのは、小学4年生の頃からです。
――当時の印象に残っているレースはありますか?
森 ジェンティルドンナがオルフェーヴルを負かしたジャパンCが印象に残っていますね。もともと勝負事は好きだったので、両馬の叩き合いを観て、僕も大舞台でトップジョッキーと競り合ってみたいと思いました。
――勝負事が好きな小学生ですか。では結構、やんちゃだったんですか?
森 いやぁ、勝負事は好きでしたが、ガツガツしているタイプというよりは、控えめで大人しい子供でしたね。ただ、運動神経には自信がありました。
――ということは、当然何かスポーツをしていたんですよね?
森 両親がいろいろなスポーツを経験させてくれました。野球、水泳、体操、空手もやっていましたね。一応、空手は全国大会まで出場することができました。僕の同期は空手経験者が多いんです。荻野(極)もそうですし、藤田(菜七子)も少しやっていたそうです。
――大人しい少年だったのに、どうして空手を習おうと思ったんですか?
森 父も母も学生の頃に空手をやっていて、どちらもインターハイで優勝しているんです。だから、空手一家といったら極端ですけど、自然と空手を習い始めていましたね。組手は1対1の真剣勝負ですから、そういった緊張感が好きでした。
――先ほど勝負事が好きだとおっしゃっていましたが、ご両親の血を受け継いだんですね。
森 そうなりますね(笑)。いろんなことを経験させてくれた両親には本当に感謝しています。ただ、様々なスポーツはやったものの、身長がそれほど高くなかったので、上を目指すのは難しいなと思っていました。だから、身長が高くなくて、体重も軽いことが条件のジョッキーは自分にぴったりだなと。まぁ、父が競馬好きだったことが大きかったのかもしれませんが(苦笑)。
――森ジョッキーを応援している地元の方のブログを拝見したのですが、野球をしている時に、骨折しているのにもかかわらず、試合に出場したらしいですね。それは本当なんですか?
森 あぁ、1度ありましたね。でも、骨折といってもくるぶしの骨が欠けただけでしたから。
――いやいや、その状態で試合に出ようと思う人はいないですよ。
森 本心を言うと、痛かったです(笑)。僕がいたチームはメンバーが少なくて、あの時は自分が出ないといけないという気持ちが強かったんです。
――ど根性ですね(笑)。ジョッキーになりたいと決めた時のご両親の反応はいかがでしたか?
森 父は当然のごとく大賛成でした。ただ、母は危険な仕事だと思っていたようで、あまりなってほしくなかったみたいです。でも、ウチは父が中心の家族なので、最終的には父の後押しがきいて、母も賛成してくれました。
――周りに競馬関係者がいない環境の中で、騎手になるための準備はどうされたんですか?
森 父がいろいろと調べてくれて、美浦と栗東に乗馬のジュニアチームがあることを知ったんですね。ジュニアチームの「最終選考会」に合格すると、競馬学校の一次試験が免除になるので、「まずはジュニアチームに入ったほうがいいんじゃないか」と父が勧めてくれました。それで、母と一番下の妹と一緒に栗東に引っ越したんです。
――えっ!? ジュニアチームに入るために栗東に引っ越したんですか!? お父さまは?
森 宮城に残りました。僕は4人兄弟なんですけど、父と、もう一人の妹、そして弟を残して、中学2年生の時に引っ越したんです。
――家族全員が、森ジョッキーのためにサポートしてくれたんですね。
森 はい。だから、ジョッキーをあきらめることはなかったですし、絶対にならなければいけないと思っていましたね。
――ジュニアチームに入るまでに乗馬経験はあったんですか?
森 経験がなかったので、最初は一番下手でした。それに言われたことをすぐにできるタイプではないので、毎日毎日、先生に指導されて正直辛かったですね。乗馬は感覚が大事というか、これまでやってきたスポーツとは違って、自分だけでなく、馬のことも考えないといけないので、それがすごく難しかったです。まぁ、最後は何とかハミ受けができるようになって、ギリギリで合格できました(笑)。
最後は何とかハミ受けができるようになって、ギリギリで合格できました(笑)
――相当、努力されたんですね。
森 家族が協力してくれていたからこそ、ジュニアチームに入ることができたので、これくらいの努力はしないとダメだと思っていましたから。
【次回のキシュトーークU25は!?】
騎手になるために栗東に引っ越した森ジョッキー。念願の競馬学校に入学しますが、そこから、さらに苦難の連続でした。次回は競馬学校時代についてのお話です。